災害救助犬 キューちゃんの仲間たち
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 2007年「月刊消防」連載より

 2004年の新春に富山県で災害救助犬になるために育成された救助犬のキューちゃん。
 生後から2年後の認定審査会までの660日間の訓練の模様を取材した映像が日本テレビ「NNNドキュメント」で放送されました。また、そのエッセイが月刊消防に連載され、その翌年に同じ苦闘をしている全国の仲間が12か月に亘ってそれぞれが掲載したエッセイ集から抜粋したものです。

防災ヘリ搭乗訓練中のキューちゃん 

      
 谷崎啓子(富山県)

こんにちは!災害救助犬キューちゃんの仲間たち!トップバッターは黒ラブのティアナで〜す!キューちゃんとは災害救助犬の同期生です。よろしく。では、あたちの指導手(ハンドラー)のママからどうぞ。
 2年前新潟の中越地震で崖崩れの中から男の子を救ったのは、ヘリで投入された一頭の災害救助犬だった。昨年、ようやく防災ヘリと救助犬との合同訓練が行われだした。災害が起きた時に想定される事態を考慮すれば、当然行われるべき訓練である。地震、台風、集中豪雨により 起きる崖崩れ、道路寸断、家屋倒壊…ハイパーレスキューの力をもってしてすら行方不明の人の所在を発見できない時、救助犬というものの持つ能力、そのために日々積み重ねて身につけてきた力が使われるべき時なのだ。まずその現地に赴く為に 防災ヘリと救助犬とのタッグは必要なことである。防災ヘリに積載する燃料は決められているそうで、他県で災害が起きた時にこちらからとべる距離は自ずと限られてくる。今、各自治体との出動提携を結び始めている。国との体制が整わない以上、自治体レベルとの提携を増やしていくしかない。そしてその自治体の防災ヘリとの協力も必要になるだろう。我々が、何をやりたいのか、何をすべきなのか…。それは 災害が起きた時に、実際に現場に赴き、活動することである。その場で、救助犬としての役割を指導手としての役割をきちんと果たすことである。しかし救助犬自体の認知度もまだまだ低いのも現状である。
 この年の間に、阪神、中越と大きな災害が起きてしまった。その両方に出動しているにもかかわらず、実際にその役割を果たせない辛さ、ジレンマ… 中越の時は 途中まで行ったが この先は危険で通行止めがあったと聞いている。想定される場面、求められる事を考えれば、防災ヘリとの協力態勢はなくてはならないものである。実際に現場で活動する事 それを成し遂げていかなければならない。余談だが、ある本で読んだことがある。DOGはGODの逆の綴りと。神様は人間の最良の友として自らの名前を逆に与えたらしい。犬の持つ能力の素晴らしさもきっと神様から与えられたものなのである。様々な役割、使命を担って彼らも救助犬として存在しているのだから。
左:筆者とティアナと右:キュー
 ママちゃん!その辺でバトンタッチしてよぉ〜ワンワン!!改めまして、あたちの名前は ティアナ。本名はね グロリアオブグレートエンペラーって言うの!キューちゃんとはお友達なの。いつもはお家にいるけど ママちゃんと訓練所に通ってるよ!あたちも去年初めて ヘリコプターに乗ったよ。最初びっくりしちゃったぁな。だってね すごいの!ヘリの風って。プロペラやエンジンの爆音や風の中でも平気でなくては乗せてはもらえないの。爆音でママチャンたちの声は聞こえないから、視符(手の動作で指示)で伏せたり、待っていたりしないといけないんだよ。狭い機内でレスキュー隊の人たちと一緒だから、伏せておとなしくしていないといけないし、景色も見られないよ。でも楽しかったよ。また、ヘリで訓練していきたいなあ〜。でもねぇ〜あたちよりママちゃんが 風でフーラフラしてるんだからっ!ママちゃんしっかりしてよ。一緒に何処でも飛んでいって あたちも出動するんだもん!キューちゃんもヘリにも乗ったし、負けないようにおいてきぼりくわないようにあたちも頑張るんだ。訓練所のお兄ちゃんお姉ちゃん犬たちはあたちより、もっとすごいんだぁ。あたちも早く一犬前の救助犬になれるように今日も123ファイヤー!ママちゃんも頑張って!ワンワーン!


  梅井貴正(神奈川県)

左からアール、キュー、サラダ
 このたびの中越沖地震で被災された皆様にお見舞い申し上げるとともに亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます
7月16日私たちは夏季訓練で立山山麓から帰路に着く途中だった。午前10時13分、運転している車に揺れを感じながらも、大きな地震である事には気付かず走っていると一報が入り、急遽、富山市にある災害救助犬ネットワークの本部へ行く先を変えた。現地の情報を電話やメディアから可能な限り収集しながら先遣隊(46名)が柏崎へ向った。運転しながら苦い経験が脳裏を過る。2004年の新潟中越地震の出動では、サポーターとして現地へ向かったが、まだ「災害救助犬」への認知度も低く、通行禁止区間からは一般車両と同じく迂回させられ、結局途中で解散になった。
 しかし、今回は途中の通行禁止区間から富山県警の先導で柏崎市役所まで辿り着く事ができた。これは「災害救助犬」への理解がされてきた証のような気もするが、その負った使命にも応えなければならない。
現地へ到着したのは午後5時過ぎ、対策本部に行方不明者の情報が入ったのは午後8時過ぎており、夜間の検索に取り組んだ。検索範囲が予想以上に広がり、深夜に及んだ。犬・指導手共に疲労困憊の状態の時に、「犬を休ませたほうがいい」という柏崎消防隊員の方からの言葉には全員が感謝している。
災害救助犬は、人命救助を目的として育成している犬だが、犬が「ここにいます」とアラート(吠える)して教える行動も答えだが、「ここにはいません」と反応しない事も大切な答えだ。
 今回のような倒壊家屋での検索では、瓦礫の下に「人はいません」という答えを導き出すためには、私たち指導手が犬の動きや反応を洞察する訓練を日常的に行う事も欠かせられない。犬からみると、訓練では必ずヘルパー(擬似被災者)が居る設定で能力を強化しているが、実際の現場では「ゼロ回答」が続く事で、訓練を積んでいる犬であっても意欲の低下は避けられない。本来であれば犬の意欲を上げる為に、現地でのリハビリ訓練は必要なのだが、現実問題として、今回の出動状況の経験から、私たちは、まずは「災害救助犬」を理解してもらうような努力が必要であるという事に尽きる気がする。
今回、私と一緒に検索に当たった救助犬の「サラダ」は6歳になる「甲斐犬」で、災害救助犬の中では特殊な犬種である。日本犬と言う事もあり洋犬と比較すると警戒心も強く、人馴れしない性質を持ってると考えられる。しかし、どの犬種も極端に特異性が強くない限り育て方や、その犬の性質に合わせた訓練方法を選択して強化していく事で成長して行くものである。特にサラダは、甲斐犬という犬種のわりには訓練がしやすい性質を持っているが。しかし、そうは言ってもやはり日本犬独特の気質を持っているので、その面を消去するのではなく、今回の現場のような倒壊家屋の検索においては、程々の警戒心から危機回避能力を発揮して二次災害を避ける事もできる。
 訓練においては、洋犬よりも何倍も時間と根気が必要になるが、日本犬独特に忠誠心は、現場でも常に私への意識を保ちつつ検索にあたる事ができるというのも、この犬種ならではの動きのように感じがする。
サラダの子供であるアール(2歳)も災害救助犬を目指している。サラダに比べると、まだまだ経験不足で一人前になるまでには、更に1年以上は必要になるが、もし将来出動する機会があれば、信頼を受けて災害救助犬としての作業ができるような訓練に励みたい。
筆者とサラダ(中越沖地震、柏崎市)
 今回の出動では、現地入りから倒壊現場の検索に当たっては、私たち救助犬チームを理解して協力をもらった柏崎消防、上越消防の方々に深く感謝しています、今後とも現場レベルでの合同訓練等によって、更なる信頼関係を深めながら、隊員の方々から今以上に信頼される精度の高い災害救助犬の育成に併せて、体力・知力・精神力を鍛錬した指導手の育成に取り組んでいかなければならないと痛感しています
 将来、人命救助の現場には必ず消防、レスキュー隊の傍には災害救助犬がスタンバイし、本当の意味で人命救助の為に信頼されるひとつの手段として災害救助犬が認められるように、これからも犬・指導手・組織が一体となって努力したいと考えていますので、今後とも、より一層の理解と協力をお願いいたします。



  西坂直樹(福島県)

左:キュー、右:蓮次郎
 2ショット写真で、年頃キューちゃんの隣でそわそわしているのは、オスのラブラドールレトリバー漣次郎。1歳半で災害救助犬の認定を受けて今は3歳半。ヤンチャ盛り。さしあたり私にとって最大の問題はキューちゃんとの2ショットの写真撮影。今までの漣次郎は出番を待つ間、捜索したくて大騒ぎ。他の犬が近くにいると落ちつかず。正確には落ち着かせる力のない指導手ですかね。年頃キューちゃんが隣にしかもノーリード・・・。訓練士からのアドバイス「命令は気迫で」を思い出し、渾身のコマンド『マテ』を。指導手として生涯最も気合の入った『マテ』でした。この撮影をきっかけに気合の入ったマテを覚え、犬を掌握できるようになったことは、私にとっての大収穫。このコーナーに感謝です。
 今年9月2日に、群馬県桐生市が主催する『桐生市消防隊秋期点検並びに桐生市水防訓練』に災害救助犬によるデモンストレーションに参加した。渡良瀬川河川敷でのヘリによる人命救助、消防車パトロール、堤防漏水亀裂の防止工法訓練の後の休憩時間に15分間のデモ。犬を指導手に従わせる「服従」のデモと3つの箱のうちの1つに仮想遭難者の地元桐生のボランティアの方が隠れ浮遊する生きた人の臭いを感知して救助を待っている人を探し出す「捜索」デモを3回行った。
デモには、群馬県の隣県、福島県から連次郎含む災害救助犬のラブラドール2頭と、今年認定会にチャレンジするシェパード1頭、横浜から甲斐犬1頭が参加した。リーダーは福島の大原茂雄訓練士。5名4頭でのチーム編成。
 服従は4頭並列で大原リーダーの指示で歩行、走行、立止、待たせ、招呼など、演技中はマイクの音や、1000人近い人々の歓声などで犬が集中できない。指示の声が犬に届かず、声符(声による指示)から指符(手の動きでの指示)に切り替え、4頭無事演技終了。ヘリやサイレンなど災害現場に近い環境なので犬達にもよい実践的経験になった。
 捜索活動は犬の集中力や体力、確実性を増すなどの理由から3頭が1チームで活動するようになる。先に2頭が捜索を行い、反応した所へ確認犬が出て再確認をさせる。連次郎の今回の役割は確認犬。連次郎は山林を徹底的に探しまわるように、また1度捜索して見当のなかったところには戻らないように訓練している。デモでは同じ場所を3回、目の前の箱となると彼のプログラムには無いことばかり。よって今回はリードをつけての確認をした。余談ながら、このあと近くて同じ所を探す練習も始め、成果をあげてきている。
今回の最大の問題の場面は、それは意外なところでキバをむいていた。桐生市の担当の方が「救助犬の方はこちらでお待ちください」と案内されたのが、大勢の消防団員の方々やご家族の真ん中。犬好きの方が話しかけてこられたり、犬と写真を撮られたり。きっと皆さん救助犬はお利口だと思ってらっしゃる。でも実際はかなり活発で明るい性格のヤンチャな犬が多いのです。声をかけられた連次郎は有頂天?一歩手前。シッポはブルンブルン。とうとう犬が動こうとした瞬間、渾身のマテを小さな声で・・・効きました。その後はどんな誘惑があっても私から目を離さない。そして無事デモに向かうことができた。
 さて、私の災害救助犬育成のきっかけは、以前飼っていたラブラドールのコジローがあまりにもヤンチャで、しつけの依頼に福島訓練所を訪ねた時だった。若い頃山岳救助活動をしていた私は、山岳捜索では、特定の足跡の臭いを追う訓練をうけている警察犬の捜索の限界を見ていたが、浮遊臭で不特定の生きてい
4列同時服従の蓮次郎と筆者(手前)
る人を探す犬がいること知り、私の山岳経験と愛犬が社会の役に立てばと思い育成を始めた。大原訓練士は救助犬、警察犬の育成でも優れた方で、折りしも台湾大地震で出動された後だったので、熱心に育成法やボランティア活動の限界などについて語ってくれた。現在福島県には現役の災害救助犬が3頭おり、地域では『災害救助犬福島』として活動しているが、どこでいつ起こるかわからない災害に対応するために『NPO法人災害救助犬ネットワーク』に所属し、地域間の連携を深めながら全国的な出動に備えている。
 今回、桐生市のデモは我々のトレーニングのためにも、また災害救助犬の理解を少しでも広げるためにも大変有意義な事だと感じています。桐生市消防隊秋期点検に招いていただいた事、多くの皆様から募金を頂いた事に改めてお礼申し上げます。
 災害地の犬は災害地には出動できません。近隣のエリアからの速やかな出動こそが災害救助犬ネットワークの目指すところでもあります。一人でも多くの方が愛犬を訓練され、災害救助犬の活動に参加していただくことを望みます。



  笹川寮子(富山県)

左:アルファ、右キュー
 災害救助犬キュウちゃんより年上だけど下積みが長かったアルファ6歳牡のラブです。実はね、ハンドラーのお姉さんが気ままで、ワタシをうまくコントロールできなくて、去年、5回目のチャレンジでやっと合格して災害救助犬になりました。その苦闘の話を聞いてやってください。
ではお姉さんどうぞ。
私が災害救助犬の存在を知ったのは、短大生の頃、坂井訓練所へ盲導犬の見学をしていた時、災害救助犬の活動を社会に知ってもらう広報誌「救助犬便り」を渡された時だった。
 卒業して社会人になってからも、人のために役立てて、自分にできる仕事が見つからず悩んでいた時、頭の中を過ったのが「災害救助犬」だった。救助犬便りを部屋中探し、すぐ訓練所に電話をかけた。話を聞いてくれたのは、石割訓練士で「1度見学においで」と言われ数日後に出かけた。その日に救助犬の作業を実際に見て、すぐに私もやろうと決めた。救助犬にするための子犬を選んでもらい、私の家に可愛いラブラドールの子犬がやってきた。半年後から訓練を始めるという事になり、それまでアルファと自宅で楽しい時間を一緒に過ごした。あっという間に半年が経ち、アルファを訓練所に預けた。少し経ってアルファの訓練の様子を見たとき、ただ「すごい!」、あの子が隠れている人を発見する姿を見てとても感動した。
 そして預けて半年後卒業してから、アルファのハンドラーとしての私自身の訓練の日々が始まった。しかし、訓練士のようにうまくいかない、アドバイスを貰いながらやっても、身体が思うように動かない。そんな中途半端なまま1回目の認定審査会に挑んだ。捜索作業では発見し吠えたが、基本的な服従作業はメチャクチャ・・・もちろん不合格。基本からやり直し2年目の審査会では服従は何とか乗り越えたが、倒壊家屋で発見し吠えかけた時に、緊張している私は遊んでいるものと思い「来い」と呼んでしまい・8分間のタイムアップ。ハンドラーとして未熟な自分への苛立ちがアルファにも伝わり作業意欲を失わせてしまったのか、普通の家庭犬になってしまった。何もかもうまくいかない、そんな日々のなかで訓練らしいこともせず災害救助犬を育てているとは恥ずかしくて言えない日々が続き、当然3年目、4年目も不合格。 
 何もできずに悔しくて泣いてばかりの時、救助犬の仲間から、「問題は犬ではなく君自身なのだろう。アルファの認定だけが目標で救助犬活動をしたいのか、人の命を救うために救助犬を役立てようと考えているのなら、ハンドラーの資質も必要なこと。犬は感情のある生きものだから、ハンドラーの日常がそのまま犬に反映するのだから、今の君の情緒不安定な言動や中途半端な取り組み方では、いつまでもアルファを災害救助犬にしてやることはできないだろう、もし、間違って合格しても役には立てない・・・技術だけではなく、パートナーのアルファを信頼して、君自身が真摯にアルファと向き合って訓練に取り組めば結果はついてくるはずだが・・・」と厳しく言われた。
 いままで私がアルファにしてきたことは、ただ思いのまま感情をぶつけて動かそうとしていた、誉めることも忘れていた。アルファのやる気や能力を潰していたのは私自身だったのだ。そんな幼く情けない自分であったことがアルファに申し訳なく思う。もう一度初心に戻ろう「救助犬をやろうと決めた気持ちを思い出して、応援してくれる人もいる、ゆっくり一歩ずつやっていこうと決めた。まずは誉めてやる気をだしていこう!だが、自分は焦らずに落ち着いて、そう言い聞かせながら・・・。少しずつアルファの様子が変わっていく、目をキラキラさせながら服従ができるようになってきた。大好きなボールを投げれば喜んで取ってくるようになり、作業にも意欲が出てきた。そんなアルファを見ている時間はとても楽しい。
 そして、5回目の審査会を向かえる。やはり私はドキドキ・・・緊張していた時、
捜索出動中の筆者(富山市八尾)
富山の仲間から「いつも通りにね!」と。いよいよ捜索開始、アルファに任せよう!「頼むね」。暫くして、ワンワンワンと吠えた。それだけで嬉しい気持ちになった。服従作業も何とか終え、結果発表までの待ち時間、「今回も落ちたらアルファに申し訳ない、またつぶしてしまうのか。と5年間の嫌な思いばかりが駆け巡っていく。そして、結果発表・・・なんと合格、びっくりして泣いてしまった。嬉しくも、まだまだスタートラインに立っただけ。これからはアルファの能力を落とさないように、私には課題は多いけれど、アルファと一緒に少しは役に立てるようになりたい。


  高橋比俊(宮城県)

右からキュー、モコ、ミー
 私が住む宮城県大郷町の隣町、美里町で災害救助犬チームとして防災訓練に参加することになった。会場はすごい人の数、前日に参加することが決まり、かなりドキドキの状態。でも愛犬ミーちゃん(柴犬、雌、7歳)は、いつものマイペース。9:00、訓練も始まりヘリコプターが目の前で離着陸を繰り返す。ミーちゃんは怖がらないかな、と思いきや、まったく平気そうでちょっと安心。そろそろ災害救助犬の出番が近づく「フゥー」。
 最初は倒壊家屋の捜索訓練。捜索は隊長とハンドラー2人と犬2匹が1チームとなり行われる。1頭目で捜索し吠えて反応した所で、間違いないか2頭目を出し、確認する段取りでミーちゃんの出番は2頭目だ。まずチームの黒ラブ「ポポ」が最初に倒壊家屋を回って少し反応があった所に投入する、「ワンワンワン」発見!そしてミーちゃん投入。私の「探せ」の指示で家屋の中へ入っていく。少し待つと、中から「ワンワン」ミーちゃんの甲高い声。「発見」と隊長に報告する。怪我人に扮した人が、倒壊家屋の中から救助隊によって救出される。同じように、車の下敷きになっている人の捜索もして訓練終了。ほっと一息と思いきや、次ぎの障害物通過訓練は、金属製の滑りやすそうな梯子。「登れ」(いつもの脚立での練習が功を奏す)そして急なスロープ「降りろ」怖がりながら何とか降りる。(いいぞ、その調子)息つく暇なく、次は服従作業のデモンストレーションだ。遠隔操作、離れた所から「伏せ」「立って」「座れ」そして「吠えろ」の指示を出す。これは簡単だったね。
 最後に、ふれあいタイム。柴犬、黒ラブ、シェパード3頭並んで、アッと言う間に大勢の人に囲まれ、もみくちゃ状態。ミーちゃんは小さな災害救助犬で何処に行っても人気者。そして質問の荒らし(1日どれくらい訓練するんですか、何食べさせてますか、どうしたら、そういう犬になりますか、)。質問に答えていると私もプロになった気分。富山から参加の災害救助犬事務局の石割さんの絶妙なアナウンスで小さいミスは打ち消され、何とか無難に大舞台をこなすことが出来た。これで本番に弱い私も、かなり自信と度胸が付いたかも?今思えば、去年の認定試験に落ちたのも私のミス。今年こそ試験頑張るぞ。ミーちゃんは、4歳まで私と競技会で活躍し、その後救助犬の訓練を始めて今年で3年目。現在7歳。今年に入ってから捜索作業に対しとても意欲が出てきて、かなりいい動きになってきたように思う。競技会用の訓練は、一人で黙々練習すれば良かったけれど、救助犬の訓練は、ヘルパー(遭難者役)が必要で、それも訓練に精通した人でないと、なかなか犬の上達は望めない。遭難者役がいない、災害救助犬を育成している人なら誰もが悩んでいる。当初、家族にヘルパーになってもらうが、いろんな人で練習しないと上達は望めない。しかし、今年春から隣県の、岩手チームの合同訓練会に、参加させてもらえるようになったり、またプロの合同訓練会にも、時々参加させていただき、やっとコンスタントに、内容の良い訓練が出来るようになってきたけれど、もっと気軽に訓練が出来たら、とも思う。しかし、この段階で、これ以上は贅沢。関係者の方々には、迷惑をかけっぱなし、でもあるし…。おかげさまで、私もミーちゃん
宮城県美里町の防災訓練でのミーと筆者
も、かなり充実してきた感じだし、それに、昨年、2代目の犬として、モコ(甲斐犬、雌、現在1歳)を迎えて、「チーム高橋」も層が厚くなってきたか?モコは私にはもったいないぐらいの素質あり、と見ている。今までの経験と知識で、あせらず、じっくり、育てていきたいと思う。災害救助犬の関係者の皆さん、まだまだご迷惑おかけします。
 そして今回、お世話になった宮城県消防の関係者の皆さんご協力ありがとうございました。私たち災害救助犬チームも救えるはずの命を一人でも多く救えるように頑張ります。


  榎本義清(和歌山県)

夏季合宿訓練中の筆者(中央)
 和歌山で災害救助犬を育成して行こうとしていたとき、富山の坂井貞雄先生から、「やるのなら認定基準の統一が必要」との指摘を受け、当然、団体によって災害救助犬の認定レベルが違うというのは、チームとして捜索連携、活動しにくい気がします。また県内だけではなく全国的な交流を深め情報の共有化も、災害発生時には必要不可欠であると思います。今回初めて認定審査会にチャレンジして勉強させて頂いたことを和歌山でも取り入れていきたいと思っています。さらに大変高い志を持った同志がたくさんいたことを嬉しく思いましたし、皆さんが本当に真面目に日々訓練されていると感じました。認定試験は、大変シビアな科目になっているなと言うのが素直な感想です。制限時間内での3名の発見、犬の正確な発見動作、捜索意欲、持続性等々、指導手(ハンドラー)の観察力、指示性、そしていろいろな服従作業等々大変勉強になりました。ただ試験の合否ための科目との思いもなくはありません。災害救助犬の認定は、やはり実際の捜索活動に本当に対応できなければなりません。それには、犬やハンドラー(指導手)の犬を扱う技量も大切ですが、実際の災害や事故に対応できる捜索活動等の技術や知識が第一条件だと思っています。そのため人間と犬とが実情に応じた捜索試験をし、指導手も認定災害救助犬の認定指導手とするのが理想だと感じています。私自身、和歌山県警察の嘱託警察犬を7年間していますが、実際の出動現場はひとつとして同じ事はありません。状況の判断や捜索範囲の絞込みや捜索手法、展開や犬の状況判断・・・、犬より指導手の資質が要求される点も多くあります。実際には犬を追い込んででも捜索していくこと、状況に応じた発見動作・・いろいろなことを加味してでも一人の要救助者を必ず発見できる、人と犬のコンビネーション能力を問うべきなのでしょう。服従作業は、本当に必要な作業と災害救助犬としては不必要な作業もあるように感じますが、あらゆる状況下での服従性能を推し量る上では必要なのかもしれません。災害現場での平常心と服従は、重要なことですから優劣を決めるためではなく災害救助犬として必要な科目だけを重点的にやり、実際の災害現場に対応できる認定基準を指導手と犬が受験し合格を目指す事ができればと思っています。
 「救えるはずの命を救うために」という目的が同じ人々と大変気持ちよく受験でき心から感謝しています。認定されたからと驕ることなくまた、来年の認定試験を目標に犬とともに切磋琢磨していきたいと思います。
 そして日常的には大規模災害での出動より近隣の登山者、行方不明者の捜索出動依頼が多く、そのような点から山岳捜索訓練も欠かすことはできません。
山岳訓練中の筆者と和歌山の仲間たち

 2007年11月3日、三重県山岳連盟の山岳救助隊との合同訓練が鈴鹿山系雨乞岳コクイ谷で行われ、災害救助犬サムと参加しました。NPO災害救助犬ネットワークとしての活動で、災害救助犬チームは和歌山からはサムの他に水杉アニー、サポーターの西、三重から西内アトレーユ、京都から隊長の津田、総勢5人と3頭の構成でした。山岳連盟からは、消防関係者を含め10人ほど、武平峠登山口で合流し、武平峠滋賀県側⇒沢谷(昼食)⇒コクイ谷(捜索)⇒沢谷⇒武平峠のコース。昼食を挟んで約2時間登山道を歩いた後、雨乞岳から下山中の20名ほどのパーティーに出会い、はぐれた行方不明者を探すという課題でした。行方不明者は、沢沿いの登山道の山側斜面ヒノキ林に、男女各1名、犬たちは、登山道から30mほどで男性を15mほど奥で女性を発見しましたが、体力、犬の作業意識の切替え、通信連絡手段、チームワークなど、また新たな課題も生まれました。無事訓練を終えて夕方に下山、湯ノ山温泉で汗を流しながら、人も犬も日々、いろんな訓練が必要だと感じました。また実戦訓練に加えて競技会などもあればレベルアップにつながるのではと思ったりもします。これからもたくさんの仲間を増やし、災害救助犬を育成し、災害に「備えよ常に」です。