組織連携NEWS&TOPIC
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 組織間、災害救助犬関係者に関わる出来事、動向、情報に客観的な事実関係、事象を踏まえ、当会の考え方、方針を自戒も込めて掲載しています。
 理事長が責任をもって掲載しておりますが、お問合せ、ご意見、ご批判はメールにて承ります。
    
    

■2024.1.6
 能登半島地震の対応について課題を提起します。
 
 

■2023.9.10
 HP,SNSにおいて他の組織の写真や表現を引用した場合は、著作権の侵害とならないように留意する必要があります。また、法的な問題とは異なりモラル、道義的な問題でもあります。
 何故そのような事が起こるのか。意図として考えられるのは、自らの情報では不足なため引用し、誇張する内容が必要であると推察できる。これはり見ている人を錯覚に陥らせる目的も垣間見えて非常に由々しきことです。直接指摘される前に自ら気付いてもらいたいと願っています。
 私たちはNPO法人として社会の皆さまに理解を支えに共に発展させていく立場であることを自覚すれば、事実に基づく正確な情報を発信すること。活動している実績を報告すること。その倫理、モラルのうえで発信していく責務をもたなければと考え、当会においても常にチェックを行っています。

■2022.9.18
DRDNが考えている人命救助への取組みの基本として、犬と人が互いを補って作業をする。この当たり前のことが現場できるようにする。犬の訓練は熱心にしているようだが、人の訓練はできているのか、チェックはできているのか。災害救助犬が誕生以来31年、実戦的な現場対応に継続的に練度を向上させてきたとは云えないだろう。
人(ハンドラー、サポーター、本部管理等)の技量、知識、練度を向上していく過程で意識の向上も伴ってくると考え、DRDNでは犬の作業能力向上と並行して人の能力向上につながる訓練に取り組むことにしている。
その一環として今年度より人の現場能力の基礎チェックして「サポーター試験」を導入した。現場に向かう人には必須の条件として位置づけ、救助隊、社会からの信頼を得ていくつもりである。


■2021.7.15
災害の度に登場する「災害救助犬」を考える
■災害救助犬って
 不特定な生存者を探すための訓練をしているのが災害救助犬です。原臭(探す目的と同じ臭いのもの)を必要とせず人の臭い(細胞片、体臭。呼気等)に反応を示すように訓練されています。嗅覚がいい!これは災害救助犬に限らず犬ならば同じ能力ですが、それぞれの使役犬はこの特性を生かし優れた嗅覚の使い方を教えた犬たちです。その中に不特定な生存者を探す「災害救助犬」という犬たちがいます。

■嗅覚を生かす様々な現場に別々の使役犬がいる!?

 犬は嗅覚が優れているのでその特性から様々な目的で使われています。
・警察犬:現場に残された容疑者の痕跡から同じ臭いを追う。
・麻薬犬:空港や港などで海外からの違法薬物を見つけ出す。
・爆薬探査犬:警備が必要な場所に爆薬がないかを探索する。
・トリュフ採取:地中にある高級食材であるトリュフを探索、採取する。
 これらの使役犬で共通しているのは、犬が気分に任せて本能的に動くのではなく、人の指示に従って必要な時に作業をすることです。
 それができなければ使役犬とは呼べません。例えばトリュフを探すには豚の方が向いているらしいのですが、本能的に探し食べてしまいます。その点、犬はここにあると告知をしてくれるだけですが、犬は訓練に時間を要するため豚を使う人も多くいるらしいということです。
 日本には遺体捜索犬は存在していませんし、育成もできません。何故ならば教える時に必要な同じ臭いが法的に揃えられないからです。

■犬は純粋で単純な動物!

 同じ嗅覚を使うのに、なぜ別々に作業犬がいるのでしょうか。
 犬は正義感、責任感があって作業をしているのでしょうか。
 犬は純粋な生き物です。裏切ることもありません。もし思うように動かないときは、教えていないことや経験不足なことをやらせているときであると指導手自らが反省すべきことです。
 教えたことはキッチリとしてくれますが、犬が状況判断したり、現況を忖度して動いているのではありません。一生懸命作業をするのは、ご褒美がもらえる、褒めてもらえるなどの対価を期待してのことで、私たちは真剣勝負でも犬にとってはゲーム感覚です。
 この犬が持っている純粋さ単純さを生かし、訓練ではギブ&テイクで教えていきます。その関係の中でこの人(指導手)に従えば良いことがあると犬からの信頼が生まれ、指示に従い動くようになっていきます。犬は教えたこと、訓練したことしかできない動物なので、一つのことに絞って成功させて褒めて育成する必要があります。一頭で今日は災害救助、明日は麻薬探索などと人間の都合で器用に切り替えはできません。

■実働における作業犬の在り方!
 この作業犬への考え方、手法は世界的にほぼ差異はありません。ということから、生きている要救助者を探す災害救助犬ならば遺体捜索はできないというのは関係者なら共通の認識のはずです。ただ様々な臭いに反応を示すことはあるかも知れませんが、「反応が…」とは云っても、何に対しての反応かということを明確に示すことはできないはずですし、犬の行動を正しく分析できない現実から、仮に反応!といった地点を掘り返せば現場は穴だらけなり無駄になることは想像がつきます。これでは現場作業の邪魔をしていることになり、災害救助犬活用への逆効果となることを懸念しています。また「出動しました」だけでは自画自賛のパフォーマンスしているだけに過ぎないのではないでしょうか。

 災害の度に災害救助犬という名称が故に、災害現場で絶対的に役立つと考えるのは早計です。役立てる環境、必要な状況、場面を見極めて然るべきです。その限定された目的(生存者を探す)のために補完的な立場にある災害救助犬でもあります。
 また、偶然、ひょっとしたらの思いで現場で使うならば、わざわざ訓練をする必要もなく、家庭犬でもできることになります。
 教えられてもいないこと、やったことがないことをやらされている犬は哀れで同情を禁じえません。
これら全てを過去の活動からの教訓としなければ社会からの信頼は得られません。
 こうした災害救助犬への現況、理解が、現場を指揮する人々に周知されず、効果的な活用がなされているとは到底思えません。先進国からは災害大国日本で救助犬を活用できない不思議!と揶揄されていることは真摯に受け取るべきことでしょう。

 人命救助のための災害救助犬の効果的な活用を考えず、情緒的、無節操な状態になってはいないか、当事者、関係者は冷静に考えていただければと願っています。
 DRDNでは来月から専門誌に災害救助犬に関する連載を1年間します


■2021.3.8
 3月8日TBSニュースで「救助犬が活躍できないのは・・・」と放送されましたが、実際に企画取材したのは名古屋のCBCテレビで、その放送は3月5日に10分間東海エリアだけに流れました。   CBC放送を直接見ることはできなかったのですが、そのニュースをまとめた記事がヤフーニュースに掲載され、タイトルが「救助犬が増えないのはお金が理由!?」ということになっていました。  DRDNとして取材を受ける際に確認していた内容とは違っていたため、3月8日のTBSニュースの放送の前に3月6日リンクの通り抗議を行いました。
 結果、元の放送とは異なった視点「活躍の場を広げるために」という切り口になって、3月8日のTBSニュースではDRDNの意向が反映されていました。
  この意向の通り、まず私たちがやらないといけない事はお金集めを考えることではなく、私たちの活動を見て理解、支援をいただけるようにしなければなりません。
 救助犬が注目され始めている今、メディアへの露出も増えるかもしれません。 今回も再三再四、担当には伝えたつもりでしたが、編集の段階で歪んでいくことを教訓として、社会に訴えるべきことを整理し救助犬組織としてやるべき事、伝え方を再認識した考えています。
  既に次の取材も入っていますので、私たちが目的としている人命救助のために役立てるNPO救助犬組織であることを正しく伝えるように努めたいと思います。

■2021.2.18
 月刊消防4月号、fsジャパン29号に「サーチ&レスキュー連携訓練」の記事が掲載されます。


■2020.7.1
2020年DRDNとしての活動に関する方針です。※2020年度 活動方針
※理事会所信
総会に至る前に理事会からメンバーに打ち出した考え方ですが、その後総会にて決議し公式な組織方針になっています。連携する場合においてもその考え方を基本に対応します。

■2020.3.31
41救助犬業界の方々へ提案します。
NPO法人である以上、社会への説明を常に行い理解、協力を得られれば支援が自然発生的に生まれてくるものだと考えるならば、現況を鑑み内容をありのまま客観的に伝えることは支援を求められない状況にあると感じています。また逆に恣意的に広告宣伝的に伝えることは偽善となり反社会的行為とさえ感じます。
この現況を踏まえ、一つは人命救助の救助犬組織として進むか、もう一つは人命救助とは無縁のスポーツドッグの道か、明確にするべきではないか。そして人命救助に進むのであれば現況を是とする人はいないであろうと思います。
どのような考え、意見があるにしても一部での密談的話し合いでは公的な制約を受けない無責任な経過、結論となり、社会への約束として組織としての立場を明確にし責任を持つことにはなり得ない。救助犬の社会的立場から組織間では公開(内容、議事録の公開)での議論を呼びかけたい。
気が合う仲間同士が話し合っても、離合集散が繰り返されるだけであった30年の教訓から学び、取りあえず気の会う仲間だけで話し合ってみようということではなく、目的(人命救助のための救助犬活動)が同じであることだけは前提としたい。連携は組織であることより、個人であっても目的が共有できれば連携の対象と考えています
そのDRDNの方向性に賛同が得られるかは社会の人々が判断することになります。
私たちは期限を区切ることなく常にこの姿勢でいます。

■2020.3.1
DRDNが考え取り組んでいるすべて、活動方針、救助犬の未来、行政、消防対応、訓練の考え方、訓練会の内容、制度、お金の使い方等々、救助犬に身を置いてきた方には異次元のことになるかも知れない。
正しいからと云うことではなく、日本に救助犬が育成されてから28年間進化、正しく認知されなかったことは確かであり、パフォーマンスより、原点に立ち返って活動、組織運営を考えることにしているだけであるが、犬の訓練をしていることイコール人命救助のための救助犬活動とは別であることを考えてみるべきではないか。。
世界の救助犬チームが示してくれていることに学ぶべきである。世界のスタンダードと日本の現況の落差に気付いている人は少ない。継続して活動をしていくならば社会よりも救助犬業界の人々が早く気付いてほしい。
救助犬を名乗る以上、もっと真摯に足下を見つめる必要を感じる。

■2020.2.12
群馬県渋川市と出動協定を締結した。
災害が少ない群馬県であるが、協定を出発点とする目的もあって締結している。
市の災害への対応が目的ではあるが、対応するためには平時の訓練が不可欠であり、平時の取り組み、協力が得られる環境が重要である。そうした目的を明示した。
第7条に「平時にDRDNが必要とする訓練に市は調整する」とした協定は初である。
それは現場をイメージした訓練を積み重ねてきた渋消と言われる渋川広域消防本部がある渋川市だからこそできることである。渋川広域消防では著名であり、そこに救助犬が加わりサーチ&レスキューのモデルが全国発信できる可能性に期待している。
協定ありきではなく、訓練ありきに協定がバックアップの位置づけとしている。
今後は具体的な救助犬が加わったサーチ&レスキューの形を作り提示していきたい。

■2020.1.1
社会、行政、現場救助隊へ救助犬チームとしての信頼を得るために信頼への道 私たちが自らやらなければならないことがある。
※資料は消防向けのセミナーにスライドとしてレクチャーしています。

■2019.
CSRM]アドバンスガイド(東京法令出版)※救助犬の章DRDN監修CSRMアドバンス

■2019.12
連携並びに、訓練会等への参加の考え方 お知らせ

■2019.9~16
スイスレドッグMRT視察の意味するもの REDOG NEWS

■2019.7.8
 スイス政府公認救助犬団体レドッグと提携協定を締結した。 連携協定
 日本における災害には海外支援隊が来る。しかし日本国内には受入体制は整っていない。
 救助犬チームとしてスイスレドッグがDRDNと連携して災害地で人命救助活動することを目的としている。行政にはできない行動、枠組みを提案し、迅速な現場活動ができるようにモデルを示し、サーチ&レスキューの在り方に一石を投じたい。

■2019.1.1
 明けましておめでとうございます。
 今年は救助犬界に一石を投じ変化をもたらしすことになると思います。
 その方向に社会の期待であることと見守りご支援いただければ幸いです。

■2018.11.28
 スイスレドッグのセミナーを終え、先進国との意識の違いを実感した。
 人命救助のための目的が明確であり、そこに向っていることが伝わってくる。私たちも同じようであるが寄り道、曖昧さが28年の年月を経ても未だ定まっていないのではないか。人命救助のためにやっているという自己陶酔になっているような気がする。実務的に何をしているのか。すべての関係者に説明、納得させられるのか。賛同が得られるのか。支援が得られるのか。社会とともにあることを忘れてはならない。私たちは社会からの期待、社会への約束を鑑みれば、今の救助犬界の現況に迎合することはできない。
 このメッセージが救助犬界に受け入れられないだろうが、行動で示し理解を得られるようにして必要な体制を目指すことに変わりはない。そこにモデルとしてのスイスレドッグがあり、協力を得ながら日本のサーチ&レスキューを示すつもりである。

■2018.10.1
 スイスのレドッグが来日される。日本におけるコーディネートを当会に要請された。
 これまで何度か来日しているが、日本では犬の訓練会に終始してきたが、私たちはスイスにおける実績、現状から鑑み救助隊への理解を深める絶好の機会と捉え、人命救助への取組み手段、方法をともに考える機会としたい考えた。開催のプログラム、案内先を消防へとシフトし救助犬組織の参加にはレドッグの要望もあり実働できることがが前提とした。しかし、日本における救助犬組織は法人であるにもかかわらず組織の体をなしておらず組織連携は2年前に無理と判断してきた経緯も有呼びかけに対応してくるかは懐疑的である。
 そのことにより行政、救助隊から要請に来るように自らを整える意識を持ちたい。私たちが考える要請というのはその言葉通り、必要だから強く願うことであり、勝手に現場に出かけ結果的に何らかの作業をすることは押しかけであり要請とは考えていない。自己都合、過信して動くことは自制するべきだが、この状態が続く限り活用システムを整えていく意識にはならず、むしろ現場作業の足手まといになり民間だからと排除されるのではないか、と危惧する。事実、北海道地震では安全装備不十分で現場排除された事例があった。これは想定された事例でもあり、活動までの姿勢として自覚してもらいたいが、業界の中で人命救助を第一義としないスポーツドッグのジャンルで過ごしている限り無理な指摘となる。
 行政が要請をするならば計画も立てられ受け入れ体制もでき、互いの役割も意識して連携ができると思われる。そのためには救助犬サイドも自ずと体制を整える方向に動くと期待し、私たちの思いが現実化する時が来るかもしれない。その意味で行政から私たちに要請が来た西日本豪雨を振り返ればよい経験として、消防への理解が活用への道筋との思いを強くしている。

■2018.9.8
 北海道胆振東部地震は大きな被害を引き起こし、多数の犠牲者が出ている。しかし、私たちは出動する判断をしなかった。知勇は交通手段、被災状況による救助犬の活用機会、ほぼ集中して特定できている点などから現場作業の手助けにはならないとの判断に至った。
 現場へ出かけた救助犬関係者やマスコミ報道から見えてくるのは、取りあえず災害現場へ行く、このことが目的となってしまっている、過去、熊本地震、九州北部豪雨、西日本豪雨においても同様の行動が見られ、救助隊内部では批判的な指摘も聞こえてくる。ただ救助犬サイドに自覚がないのが大問題であり、看過できる状態ではないと危機感を持っている。
 私たちは救助犬業界に身を置いているが、業界からの自己改革は無理と判断している。それは目的が異なることにより進むべき方向が定められない。すでに何度も記しているようにスポーツドッグというジャンルでその延長線上で災害に対応しようという救助犬たちがいることが日本の大きな障害である。この見極め、区分けを使う側の消防救助隊に現場で行ってもらうことは困難である。依って平時の訓練を通じて使えるか否かの判断を絞り込んでもらうのが賢明と考えている。

■2018.8.15
 山口県において2才の幼児が無事に救助され大きく報道されました。
 私たちは人命救助を謳いながら結果的に何もできなかった、何もしなかったことに悔い自戒しています。災害という世間が注視するなかで行動するばかりでなく、一人で救いを求めている状況に行動しなかったことは存在を自ら否定しているようなものです。パフォーマンス行動を否定してきた立場として恥ずかしい思いです。
 救助犬は何を目的にして存在させているのか、何のために訓練しているのか。一人のボランティアに教えられることばかりです。
 改めて人命救助に向き合う姿勢を一から考え直して行かなければならないと思っています。そして謙虚に行動で示し社会の評価を得られるように取り組んで行くつもりです。

■2018.7.17
 行政から遺体捜索として要請を受諾し、訓練していない犬で対応したことなど本来と異なる対応していることには救助犬としての見解を示すべき責任があると考える。
 当会では、広島県、呉市からの当該要請に対して特性を詳しく説明して、その目的では反って現場を混乱させる。として受諾することはできなかった。それぞれの立場、運営方針はあるが、救助犬としてどのように災害、人命救助に向き合っていくのか。単に社会貢献ということだけでなくより具体的な作業について対外的に統一的な見解を示すことは活用する現場からは求められているはずである。
 訓練していないことをできるかのような期待を抱かせること。偶然に期待して現場へ出向くのは作業犬としていかがなものか。情緒的な対応は別の関わりで行うべきであろう。
 広いエリアの中で犬たちの示すナチュナルアラートを目的とするものへの反応として救助隊に掘削を進言することはできないであろう。訓練をしていなければ自信も根拠もない。犬の行動、ボディランゲージの一つ一つが何に対して行っているのか。答える引き出しを持っているのだろうか。私たちは訓練していないことに答えを出すことはできない。
 SNS活動報告に反応を示した辺りから見つかったと後出しジャンケン的に書かれていることがあるが、それは役割としていかがなものか。結果を報告する立場で関わっているのか。被災した現場で探索している付近においてどこかにいることは当然である。そのようなことでは家庭犬を連れて現場にいるようなものであり作業犬としての役割は果たしているとは云えない。積極的に関与せず進言できないのならばむしろ見逃しと反省すべきことであるが、生体以外の訓練はしていないのであるから、できない作業であるとすべきところである。
 救助犬は万能ではないこと、災害救助は情緒的には遂行できない。できることできないことを明確にして社会を欺かないよう真摯に向き合うべきであり、まず足下を固め、分を弁えて行動したい。そして自己規律をもって共に行動できるところはできるように平時に議論し備えていくことに些かの躊躇はない。

■2018.7.10
 災害の度に懸念していることが現実に起こってしまう。
 西日本豪雨災害。4年前をさらに拡大した被災状況に対応に苦慮した。
 被災は6-7日に起こり、豪雨が明け、道路状況が改善し始めたのは10日であった。時間経過は災害救助犬にとって対応の大きな要因である。10日消防からの要請に対応したが、私たちの判断とは別に、災害が起これば手配師の如く立ち回り、作業ができるかということより、出動することと支援をセットにするその姿勢からは資金集めのアリバイ作りと映る。今は支援は被災地へとしたい。
 予てより連携の必要性は訴えてきたが、それはまず平時に置ける訓練の必要性であって、現場に犬を集めることではない。普段できないことは現場でできるわけがない。
 厳しい意見は当会独自の見解ではない。冷静な対当事者の声であることに耳を傾けたい。。
 私たちは、人命救助を目的とする災害救助犬と救助犬ごっこをするスポーツドッグ、ボランティアごっこをするものが混在し、特に現場は冷静に見る目もってもらいたいと具体的に示し峻別するべきと訴えてきた。まして、人命救助に関わる現場では情緒的な対応は避けたい。そのために平時から海外の事例とともにサーチ&レスキューの在り方、活用のTPO周知に力をいれ、災害救助犬が現場の混乱を招かないように情報発信していくつもりである。

■2018.4.12
 大分県中津市の土砂崩れにおける災害救助犬の対応はいつもながら様々である。
 当会は出動しない判断をした。出動しない抗弁とするつもりはないが、情報収集の結果、現場の被災状況に災害救助犬が適さないというのが主たる判断根拠である。2010年広島庄原土石流、2014年広島土砂災害、2016年熊本地震における出動から土砂に対する経験し学んだことの一つとして特性を生かせる状況ではないことに加え、場所が特定されており土砂の除去がなければ救出作業が進められない状況にある。その時間経過とともに急がれる作業判断をしなければならない厳しい状況で災害救助犬を現場に投入すべきだったのか。その基準、体制が整備されず活用されることには懐疑的である。とくに現場では意思の疎通、共有、作業の役割分担による連携が必要な環境であるが、その準備を怠り個々のパフォーマンスになってしまっては認知への道は程遠くなる。昨年の九州豪雨災害でも同様の対応があり環境作りは急がれる。
 災害救助犬は生きている人を見つける訓練しかしていない。遺体捜索犬は日本にはいない。さらに安全管理への取り組み練度の確認。この大前提を踏まえ使う側も考えてもらいたいことではあるが、人間が手に負えないので犬の臭覚も借りてと考える情緒的な対応は、これからの災害救助犬の存在、活用を正しく導かないと考えている。
 これは私たちの災害救助犬サイドの対応の責任でもある。災害救助犬の特性、力量に無知な人々に過大な期待を与え、パフォーマンスすることは人命救助のために組織している私たちの主旨であるのだろうか。誕生から27年未だ確固たる地位が得られていない現状を見れば正しい情報、合理的な活用を提示、努力をしていかなくてはならないと思っている。
 災害に救助犬が即応する体制は望むことではあるが、現場での活用は別の判断である。マスコミの論調も災害救助犬というものの存在について表面的と映る。
 正しい理解のうえで合理的な活用ができれば役に立てる自負はあるが、いまはその環境は整っていない、と捉え、必要な自らの環境(連携も含め)を整えることが先決である。

■2018.3.9
 消防救助隊とのこれからの関わり方を考察してみる。
 まず消防救助隊が災害救助犬をどのように見ているのか。サーチ&レスキューとして加わる場合の救助部隊としての評価は国内700以上ある消防も災害救助犬への評価も様々である。民間であるということも評価の一つであるが故に真の連携はハードルが高い。 
 他方、国内36ある災害救助犬組織の活動の目的は様々である。依って消防の訓練に参加を要請されたからと必ずしも一定の評価に基づいたものではない。と思われる。 多くは細かなシナリオがありその場面での役割を熟していくイベントであり広報的な側面からの評価である。それは評価として100%否定するものではない。
 私たちは消防との連携訓練に実働を強くイメージして取り組んでいる。それは先進国のスタイルから学び、現在の日本のサーチ&レスキューに照らし災害救助犬が加わることが特性を生かせる道だと考えるからである。
 災害救助犬誕生から27年、犬のパフォーマンスとする時期は過ぎ、現場活用を考えてもらう段階と捉え、次の災害までには実戦体制で臨むことが目標である。
 そのためには目的、意識の共有と行動(訓練)が不可欠である。人命救助のために日々訓練を重ねるプロフェッショナルとしての消防救助隊とその意識がないまま関わることはあってはならない。犬は何かできるという安易な自惚れは評価につながらない、と捉えれば自ずとやらなければならないことは見えてくるはずである。
 意識欠如は取り組み姿勢そのものとして現れ、評価減になっていくことは容易に想像できる。延いては犬の評価にもつながり私たちが目指す活動は実現しにくくなっていく。
 消防救助隊との連携訓練で、犬ありきではなく扱う人間の姿勢、行動に視点が置かれ、犬の評価は人の評価そのものになると感じているのは私たちだけであろうか。
 この点が大きな分岐点であり、消防救助隊をサーチ&レスキューのパートナーとして互いにリスペクトしてスキルアップしていくためには、看過することなく共有すべき基盤と捉え、関わり方を一つひとつ真摯に問い直すべきと考える。そこからが出発点である。

■2018.1.1
 あけましておめでとうございます。
 2018年に迎えるにあたり、これまでの言動を再考察し引き続き変わらず行動で示して行くことに心新たにしています。これらは決して難しく無理なことではありませんが、慣習や視点を切り替えなければ共有できないことかもしれません。
 災害救助犬はパフォーマンスを見せることが主たる目的ではありません。人命救助のために災害救助犬の有効性を認知してもらい現場活用されてこそ目的達成への進むべき道です。現場で活用しようという動きが始まる前に人命救助のために何をすべきかを考え準備する。その認識、準備が欠けたままでは存在価値が問われます、
 誕生から27年間、日常的にしみ込んでいるパフォーマンス災害救助犬感覚から抜ける出すことが第一歩だと考えています。私たちは未熟であり人命救助を担う能力があるのか、何をしていくべきか常に問いかけて行きます。
 NPO法人として社会に対してごまかしは許されません。現状では一般社会へ期待を持たせごまかしているという認識すら持たず、自己陶酔しているように映ります。犬からでなく人命救助の視点から問題解決していくべきと考えています。言動には責任を持ち、人命救助という本来の目的が共有できる仲間と期待に応えられる災害救助犬を目指していきます。

■2017.12.4
 毎日新聞から取材依頼があり東京本社を3名で訪れた。
 取材の趣旨はいままでと視点が違っていた。なぜ国は災害救助犬を活用しないのか?内閣府に聞いても明確な回答はしにくい風であったらしい。それなら災害救助犬団体に取材するがどこの団体がよいか?と聞いても明確な回答は得られなかった。ということから当会に問い合わせがあり、災害救助犬サイドの自己改革をしなければ、まともな人命救助活動はできない。現状で国が関わることは効率的な救助活動の妨げ、足かせになる懸念があると自覚しており、内閣府のスタンスは賢明だと思う。と話したところ、さらに詳しい話を聞きたい、現状を知りたい。ということで取材を受けた。
 当会が以前から公にしている災害救助犬活動の考え方、具体的な取組み、海外との比較、日本の災害救助犬育成の歴史、現状から鑑みれば、国の消極的な対応は当然であり、スポーツドッグ、趣味の域で災害救助犬を自称している存在現況を鑑みれば、災害救助犬自ら峻別できない限り、国の関与を求めることはしない。というのが当会の立場である。しかし、地方自治体ならば規模的にサーチ&レスキューのモデルは作れると考え、いま取り組んでおり、それがモデルをなって海外のように国レベルで災害救助犬が第一線に位置付けられるように願っている。今はまだ試行錯誤の準備、訓練段階であり、最前線の消防、警察の救助隊も同様であろうと私たちは推察しているので、災害救助犬の特性を活かした効率的な活用を模索中である。そして何よりも最前線で作業することから、犬の能力一辺倒ではなく安全管理、チーム行動を踏まえた体制で臨めるかが最重要課題であると考えている。
 こうした私たちの考え、説明に納得したというよりも、他の団体の主張との乖離に驚き、記事とするには互いの情報の裏付け調査をするはずである。また、マスコミとして行政も入れて防災対応に災害救助犬をどのように位置づけていくべきか議論の機会を作ってもらいたい。と申し入れた。現在、36ある災害救助犬組織の考え、取り組みを公開して具体的に人命救助に向き合い、連携して対応できるようにならなければ愛犬家の集まりと揶揄されても社会に抗弁できない。
 マスコミとして保護犬、捨て犬が人命救助に活躍…といった情緒的な報道から、合理的な人命救助に役立てる作業犬として存在できる災害救助犬が必要という論調に変わっていくと感じている。目的通りに人命救助を標榜し関わるのであれば、その災害救助犬サイドは自戒し自覚を持たなければ認知どころか非難に変わると思われる。口先だけの美辞麗句では通用しない時期に来ていると捉えるべきである。これからも仲良し連携ではなく実働を見据えた連携、できる実働、連携を組織、感情を越えて呼びかけ続けていく。

■2017.11.8
 何のための災害救助犬ですか…? 人命救助のための救助犬ではないのですか。との素朴な問いに、多くの救助犬関係者は否定はしないであろう。しかし、目の前にその行動が求められる時に真意が問われる。問題点は「したい」という願望的思いではなく、「できる」「やる」という固い意思が伴わなければ必要な準備も訓練もしないであろう。
 災害救助犬という名称の中に、人命救助以外に「できればしたい」「社会の役に立てれば…」「犬と楽しく過ごしたい」「冠が欲しい」等々、願望、欲望が混在している現実と社会の期待を冷静に見つめ直してもらいたい。
 これからは「人命救助ができるのか」という問いかけをするようにしたい。その答えをする前に条件や弁明の前置きは無用である。犬が育成できていない、未熟である、都合がつけられない…、などであるならば、願望的な思いでの努力プロセスとして、予備軍と位置づけ人命救助の災害救助犬とは区別するようにしなければ社会に誤解を与え続けてしまう。
 厳しいようであるが、自己願望に対して社会の支援は得られない。将来へ向けて育てていく暖かな社会の気持ちの上に胡坐をかいてきた過去27年であったと自戒している。
 訓練のための訓練からは卒業し、またスポーツドッグの災害救助犬とは峻別させて、これからは明解なその意志と行動が必要と考え、そこを出発点としたい。
 私たちは先進国に学び、人命救助に向かう災害救助犬チームSST(Specialized Search Team)のエンブレムを示し行動していく。

■2017.10.10
 災害救助犬の存在、認知の高まりとともに現状の活動実態を非常に憂いている。一つには向かう方向、さらには対外的活動による責任の所在、自覚のなさ、パフォーマンスの自画自賛等々、社会や行政からの疑問、批判が起こった時には信頼回復への対処はできないであろうと危惧している。これに真摯に向き合う仲間を巻き込むわけにはいかない。
 批判が起こった時の抗弁のために、私たちは同じ災害救助犬という名称ではあるが内実は異なること、区別しにくいがスポーツドッグというジャンルがあることを認識してもらえるように訴えている。それは自主的に改善できない歴史、体質であることから外部から選別してもらうことでしか改善できないと実感しているからである。そのための犬以外の判断基準を示し、活用の参考にしてもらえるようにしている。災害救助犬のパフォーマンス集団と勘違いされないように、目的は人命救助のためにの一点である。

■2017.9.29
 常に繰り返し、対外的なメッセージとして災害救助犬組織が目指す方向を明確に示すことにしている。NPO法人として社会への責務で当たり前のことのようだが、存在しているだけでは価値はなく、目的実態が伴っていない現状を憂いていると人へのメッセージでもある。
 私たちだけが良い子になるつもりはない。現に私たちは業界では異端児扱いである。
 災害救助犬が素晴らしい能力を持っている。そのことを生かせるのは人間サイドの心構え次第であると考えている。現状は未熟であり人命救助を語るには至っていない。ただ犬が居るだけでに過ぎない。犬を育成、訓練しているのは人であり、犬は映す鏡である。
 何をすべきか、立ち止まって考え、課題を見つけ関係者が議論しなければ収束できない。余りにも個のレベルでの行動、パフォーマンスが過ぎる。日本の愛犬家とはそういうう人種なのか。収束よりも拡散の道を進んでいる現実、個で行動すること、対外的な客観的評価に懸念をもたない人は人命救助に真摯に向き合っていないということだと感じている。
 今日も消防に向けて災害救助犬が信頼を得られる道すじを伝えたが、選択、判断、活用するのは実態として行政であり、救助隊であると捉えている。依っていまの災害救助犬の独自行動では活用は見通せないのであり、謙虚に向き合うべきと考えている。

■2017.8.15
 当会の呼びかけに他の団体から訓練に参加される方が徐々に増えている。DRDNが唱え続ける実働のための救助犬チーム作りに賛同したか、興味を示されてのことと思われる。
 私たちは目的が同じで行動を共にできるならば誰でも協同していく。訓練会を通じて具体的な作業、役割を分担し、補い合う必要性を共有していかなければならない。
 また、救助犬独自の理屈、行動では成り立たない現場活動を考えれば、救助隊との連携に取り組まなければ人命救助は絵空事になる。救助犬の組織連携は形式的に整えても意味がなく、実務的な連携のためには有志による訓練を行っていく中で現場対応できるチーム作りが整っていくはずであると考えている。
 訓練会の度に着実に増えて来ている実働志向の人たちを人命救助のための力に集約して救助犬実働部隊(SST)編成をしていく道筋が見えてきた。実動とは単に犬を連れて現場に出向くことではないことを理解し、協同して取り組もうとしている方々とは組織の枠を超えて連携することに知恵を絞り労力を注いでいくつもりである。

■2017.7.6
 九州北部豪雨災害に関して、多数の行方不明者が出ている緊急事態ですが立場を弁え出動は自粛することにしました。そして自らも活動を考える機会にしたいと思っています。
 災害、行方不明者のキーワードから、無秩序に現場に行くのは災害救助犬だけであることは相変わらずでどのような立場からなのか不明瞭なままでは好ましいとは云えない。
  過去にも要請はなく災害救助犬は独自に行動していただけで毎回その繰り返しです。中越地震まで民間ということで災害現場には入れませんでした。人命救助の善意だからと危険な現場に民間人を無秩序に入れて事故が起これば責任問題が起こりかねません。災害本部としては当然の判断のように思えます。
 しかし、欧米のサーチ&レスキューシステムや社会の認知とともに自治体レベルでの協定も増え、現場においては関与を認めていく方向に傾きだし、東日本大震災などは特別で広範囲の被災で現場管理できない状態もあって一人と一頭で災害地に行った人も多数いました。毎回その光景は見受けられます。管理しきれない懸念は行政からも示され、押しかけボランティアは活動制限が起こるかもしれません。行政への認知活動と真摯に向き合わず現場活動することは善意だけでは片づけられない問題であると捉えています。
 藁をもつかむ気持ちの被災者にとって災害救助犬(自称も含む)は天使に見えるかもしれません。しかし、内情を知る同じ災害救助犬として、現状のままでは現場でまともな作業ができるに加われるとは考えにくいのです。
 これからの災害救助犬活動に支障が出る前に、私たちは現状での課題を自ら解決することが先決です。 災害には犬でもいれば役に立つかもしれない、という空想的な過信で行動するべきではないと思います、現課題に向き合い、最低限の合理的な能力チェック、作業体制、管理体制が整わなければパフォーマンス的な動きはするべきではない、というのが私たちの考えです。
 今回の豪雨災害に照らせば、要請がない(現地との調整がつかない)、2次被害の可能性、独自の安全確保体制が見込めない、水害であり地震の倒壊家屋の捜索ではない、広範囲のチーム体制が整っていない、少数では短時間しか現場で活動できない、体制、錬度、現場環境から現災害に期待通りに作業ができるとは思えませんでした。このような時のために平時での管理、作業のための体制づくり、安全管理の練度を高めてこそ対応準備が整うと考えています。
 また、NPOとして災害に出動と引き換え的に支援を訴えることには抵抗を感じています。人命も支援も被災地、被災者を優先的に考えるべきです。
 私たちは国がやらないから民間NPOでやる、というのが理屈ではありますが、やるならば真面な作業ができる体制を整備することが前提です。海外も民間でありながら自立しています。犬がいれば、というのは業界だけの理屈で消防、警察、自衛隊などは実践的訓練に明け暮れ努力しています。厳しい見方をすれば犬を利用して社会を欺いていることになりかねません。NPOに対しては活動を評価するのは社会、支援者であり、平時から活動を公開して判断を委ねるべきでしょう。
 災害救助犬活動は社会から見られていることを忘れず、このような記述は自戒のためでもあります。災害救助犬が目的を達成するためには将来的なビジョンの核に協同しなければ社会的な認知が後退していくと思っています。災害救助犬組織は必ずしも同じビジョンを持っているわけではありませんが、壁はあっても連携努力をすることに変わりはありません。
  九州北部豪雨での犠牲者の方々には心より哀悼の意を表します 。    (出動部)

■2017.6..20
 一部の救助犬団体間において統一基準づくりに向けて‥、災害対応の連絡体制づくり‥とかを発信しているが、組織論的な要素(共通の目的、互いの貢献意識、円滑なコミュニケーション)から見て懐疑的にならざるを得ない。また問題解決手法として(分析、計画、行動、総括のサイクル)第一歩から踏み違えていると映る。何を基準に行動しているのか、人命救助のための視点ではないと映る。
 いま私たち災害救助犬組織に求められているものは何か。
 その求められているとする対象は誰であるのか。どこを見て指針を作るのか。
 その点を明確にして議論を積み上げていくべきではないか。
 NPO法人である以上は自己都合的な内向きな施策はとるべきではない。そうした前提を踏まえて議論を呼びかける。
 ①いま現場で人命救助活動ができるかという客観的な自己分析。
 ②現場でともに活動する救助隊、災害に対して人命救助を期待する一般社会、スムーズな
  救助活動を調整するのは行政機関であるならば自己中心的な情緒感覚でなく、それぞれ
  の相手が協同できる準備を合理的、具体的に整えていく。
 ③すでに過去の教訓からだけでも十分にやるべきことは与えられてる。
しかし、①②③の視点から議論されず、またしようとせず災害救助犬組織誕生から26年が経過しても個人的嗜好で行動する慣習であることを憂いている。このままでは災害救助犬に未来はない。と問題提起をした上で、当事者として論点を投げかけ,災害救助犬組織自ら改革に着手していく、具体的なロードマップを示すことにする。(別項)

■2017.5.10
 「FEMAから学ぶ~公的救助機関と災害捜索犬について~」セミナーに3名参加した。十数名の救助犬関係者も参加していた。
 FEMA(アメリカ連邦緊急事態管理庁)が用いているICS(インシデントコマンドシステム)の実績と有効性に関することと救助犬による現場捜索でのポイントなどのレクチャー、試しのデモが行われた。
 私たち救助犬組織がICSから学ぶべきことは、その意図する緊急事態、現場における行動において統制が取れた中で与えられた役割を果たすことであろう。同じ目的に向かうためには情報の共有、規律が求められるのはICSでなくても当然のことではあるが、機能的に動かすには必要なシステムでもある。
 実践的に生かされている点は学ぶべきであるが、いまの縦社会の日本に取り入れられる見込みは薄い。私たちはオペレーションの一つでしかなく、FEMA、ICS導入検討するべきは行政側であるのだろう。
 Q&Aにおいて不可解な応対があった。日米で比較して今私たちがやるべきことは何か。との質問に、救助犬サイドは整っている、後は政治的に判断されるべき時期である、との見解であったが、余りにも無知か、誤った情報を伝えられているのか、ブラックジョークであるのか。この現状認識のズレからボタンの掛け違いが起こらないように願う。
 例えばFEMA体制的なものが整えられた場合、救助犬組織はどのように対応できるのか。組織体制が未成熟、連携訓練がままならない現状、認定度外視での能力担保、36に拡散し続ける活動への取組み意識のズレ、スポーツドッグの混在、実践訓練不足等々、何れをとっても自らを誇示することは墓穴を掘ることになる。それほど行政、救助隊の評価はシビアであると感じている。
 犬業界の救助犬訓練と人命救助活動はイコールではない、区別するべきである。情緒的な思いやイベント参加の感覚は現場では通用はしない。
 行政、救助隊から連携を持ちかけられたとしても、まず客観的に自分たちを評価すべきではないか。今の状況で救助犬を体制に組み入れられることは時期尚早で力不足どころか足手纏いになる恐れがある。犬さえいれば救助犬だと人命救助を口にすることは無謀過ぎる。その前に整えなければならないことがあり、検討、準備の段階であることを踏まえるべきである。そして、その価値を認めるべきは自分たちではない。サーチ&レスキュー連携で救助犬がどのように対応すべきかモデルビジョンを踏まえたそのプロセスにあると認識している。

■2017.4.30
 FEMAのセミナーが開催され参加することにした。実践的な組織の取組みは参考になる。
 FEMAの事例は必要な知識として必要であると認識しているが、レドッグ同様に私たちの活動にその趣旨が生かされていくのかは懐疑的にならざるを得ないのは私たちだけであろうか。知識をどのように取り入れるのか、現場で生かすのかは議論されていないしその気配もない。災害救助犬として個人で人命救助ができると考えているのだろうか。連携して活動する意識はあるのだろうか、あればどのように進めていくのか。協同なくして人命救助は叶わないと私たちは考えている。
 私たちは連携が組織としての方針であり積極的に取り組むことを決め行動しているつもりであるが、連携への意識の共有がないまま、個人で知識が先行することは向かう方向が個人の意識で行動することの助長につながり、行政から見ればまとまった活動には見えず、力にはなり得ないと映ることを憂慮している。
 同じ目的を持った人々が集まり、訓練を通じて連携が叶うと考えれば、出発点の意識共有さえ確認できておらず、救助犬の訓練をしている人々が集っている段階にあり、そこから先は様々な方向に向かっていると感じる。社会の厳しい声が聞こえてきそうな現状である。
 2 年前のレドッグセミナー以来、連携という言葉に否定的な人はいないが、行動に結びついていない現実に直面して団体による連携は頓挫している。まずは排他的な立場には立たず、人命救助、連携意識のある有志が共有して、連携に関して議論し訓練を経て現場で協同していかなければ次の災害には間に合わない。その上で必要な知識、技術、ノウハウを得ていくことでなければ、27年間費やして救助犬ごっこのまま進化せずに終わると。いまの状況は現場で連携することは絵空事で、とても人命救助に向かう災害救助犬とは云えず、ただ同じ現場にいるだけという不遜な状況と映る。私たちは過去の災害現場から学んだこと、また救助隊との連携の中で求められている役割は何か、をベースに考えて行くことが基本ではないか。イベント用の災害救助犬ではなく、人命救助を目指す災害救助犬であるのならば救助隊がいまの災害救助犬をどのように見ているのか。
 2月に熊本地震本部長防災副大臣等に話をした時には災害救助犬団体の現状に悲観的であった。災害救助犬業界だけ論理で知識だけを得て満足しているのは、実際の現場活動とは無縁のことで力にはならない。36 ある災害救助犬組織関係者が災害救助犬チームとしてどのように連携して人命救助に対応するのか、犬さえいれば災害救助犬だと現場に入ることは、災害救助犬という存在が知れてきた今だからこそ、我が身を追い詰めることになると冷静に考えてほしい。業界だけの理屈で救助活動はできない現実を鑑み謙虚に仕切り直しが必要であろう。
 中越沖、東日本、広島、熊本災害でも繰り返し非常識な行動はあり、とても書くことはできない。放置、看過できない現実と人命救助、連携という美辞麗句に惑わされることなく自らその整理をしなくてはならない。
 このセミナーから学び、そのキッカケにされること、私たちの考え方を主催者には伝えてあり、概ね共有できているので建設的な動きに期待している。

■2017.3.25
 昨年のIRO-MRTJの模擬練習会に参加した訓練士から否定的なレポートが出た。
 主催者とのやり取りでも折り合いがつかず統一基準に向けた道が暗礁に乗り上げた状態である。いまあるMRTをベースに統一基準を構築していこうとする考えと実働からの教訓を踏まえ必要な基準を作って行こうと考えるのか大きく分かれる。何をしたいかではなく何をすべきか、人命救助の目的のために有効か、これからの災害救助犬活動に適しているか、ということで議論したい。
 実動を考えれば犬業界だけの論理では組み立てるのは無意味である。。
 先進国といわれるスイスでIROをなぜ取り入れないのか。人命救助に向けて関わる人々は冷静に客観的に検証して見れば自ずと方向は見えてくるのではないだろうか。


■2017.1.4
 1月13日に群馬県と出動協定を締結する。
 いま日本には災害救助犬組織、グループが30以上あり実態が掴みきれない現状で行政が協定に慎重、懐疑的であることは当然である。犬がいるから、名称から、不相応なその実情を行政や救助隊も認識し始めてきている。人命救助に見合う活動ができていなければ、通用しないことを私たちは自覚すべきであろう。
 群馬県とDRDNの協定であるが、DRDNは災害救助犬の窓口として一次的には対応するが、災害となれば形式的な協定とは別次元の対応が求められる。形式ではなく現場、実務からそれに見合った協定というものが考えられていくようになるには、犬を連れて身勝手に行動するようなことは慎み、連携に真摯に向き合う災害救助犬サイドの対応が問われているのではないだろうか。私たちは行政、救助隊が危惧する問題点をクリヤーにしていかなければならない。
 協定は錦の御旗とは考えていない。必要最低限の能力、それは個の能力ではなくチームとして整ってこそ対外的に活動が許されると捉え謙虚に真摯に向き合っていきたい。私たち災害救助犬だけの理屈、犬自慢は通用しない現実を知るべきで、一般社会、行政、救助隊等すべてに信頼してもらわなければ現場活動は成り立っていかない
 ドッグサーチというジャンルが現場で役立つと思われる災害救助犬になるためには、一つの組織では限界がある。また一つの組織が重宝されても意味がない。社会が期待しているのは災害救助犬が現場で連携して人命救助に当たるチームとしての光景ではないだろうか。

■2017.1.1
 災害救助犬が誕生して26年目の年を迎える。
 何のために存在しているのか。育成の時代から真の災害救助犬の活動を定着させていかなくてはならない。私たちが目指しているのは何であるのか。意見が合えば協同で行動する。
 人命救助以外に終着点はない。そのために何をするべきか、当会だけのテーマではなく災害救助犬の未来のために、今年中に行政、救助隊の賛同を得て集約したモデルを示し、そこに向けて進むつもりである。誰とでも協同するが仲良し災害救助犬グループ志向からは脱却する。

■2016.12.5
 ある実動スキルアップ研修会を見学した。
 実働とは行方不明者のいる現場に出向くことであるが、その現場には警察、救助隊がいるはずであり、災害救助犬単体で動くことはない。ならば現場で何が必要かは救助隊とともにいる現場でしか見えてこないものがある。
 災害救助犬独自の訓練には限界があり、無駄になる恐れがある。救助隊と合同で行う訓練から学びスキルアップを図ることが必要ではないか。災害救助犬独自で設定し自画自賛しても現場で通用するのか。救助隊が求めているものは何か。犬がいればよいというのは私たちの思い上がりか、錯覚ではないかと感じている。
 人的なスキルは救助隊の足元にも及ばない。同列で活動できる状況にはないことを踏まえれば、必ず協同することになる警察、消防との訓練から学ぶ姿勢が実働をイメージした訓練になるのではないか。その実行をしてこそ人命救助に向き合うことが証明できるのではないか。犬が…能力が…、災害救助犬が生まれて25年、人命救助を目的とするならば訓練のための訓練から卒業するべきと提案したい。

■2016.10.25
 群馬県消防学校救助隊特別授業として4時間講義した。
 災害救助犬への理解が主旨ではあるが、その前提として災害救助犬業界の現状を知ってもらう必要がある。そのうえでテクニカルな検討が順序であろうと考えた。
 現状はどのように分析するのが妥当であろうか。
 まず、災害救助犬という名称の中に人命救助を目的とした災害救助犬と訓練を楽しむスポーツドッグが混在している。この点は異論がないと思われるが、誰が、どこがという点で意見が分かれると想像できる。それぞれの主張もあるであろう。この点で合意が取れるとは考えにくい。
 私たちで経験してきた基準、行動実績から峻別することにしているが、ハンドラー、サポーターで現場で行動する方々はウエルカムの姿勢である。その前提は必要な訓練を行うことで峻別できると思われる。口先だけの災害救助犬、人命救助から転換しなければならない。
 災害救助犬の連携に努力することを私たちは救助隊に約束した一方で、救助隊にも選別してもらう基準を欧米の例に示した。
 峻別が必要な事由は明瞭である。現場でともに活動できる態勢でなければ人命救助はできないと考え真剣に向き合うためである。実行で災害救助犬の存在を示して行くつもりである。

■2016.10.1
 2016認定審査会捜索審査において、IRO国際審査員を要請した。
 現在、IRO-MRTJなる催しに方向性を見失いかけている救助犬業界でもあるが、IROであっても犬とともに活動する私たちは犬の育成と必要な活動は分離して考え融合させるのは基本である。
 その考え方に基づき、犬に関する判断は、組織、人物を問わず協同していく証としての選択でもある。活動は犬の育成者の意向がすべてではない、犬に特化すべきであること、今後もこうした選択、方針に基づいた取組みが定着していくようにしていきたい。
 犬に関しては、IROの存在は認めている。しかし人命救助活動とIROはイコールではない。その分離ができない状況で冠に影響されるのは方向性が散漫になる。なりふり構わず興味本意で行動することには否定的にならざるを得ない。それは社会の要請であると捉えている。人命救助活動を目的とする方々とはぜひ共有したいと願う。

■2016.9.7
 先般の統一基準作りに関し基本的な方向性を確認、統一基準作りは目指すところらしい。が、アクションプログラムは異なり、個々の思惑が交錯する。その主張である試験、基準づくりが先行することになれば、共有されていない新しい行事がひとつ増えるだけで興味本位の意識が拡散し活動が充実するとは考えにくい。目的意識を共有することがあらゆる取り組みの前提にあると思う。犬界を見ても同様で新しい組織、競技会が拡散するだけで全体的には衰退しているのではないか。いままでの犬界の論理だけで、災害救助犬を捉えるのは人命救助活動を標榜している限り同列には語れない。
 連携の必要性を認識しながらも分散が続く業界の現状の要因がどこにあるのか。そもそも目的が似て非なるものではないのか、そこを整理しないで新たな基準作りは意味を持たない。活動するために必要な取組みのうえに基準、資格を考えていくのが順序ではないのか。
 また、私たちは犬の育成とボランティア、人命救助への取組みは区別して、両輪で組み合わせて行くべきと考えている。そしてNPOとしての社会的立場、使命に叶う、その視点から客観的に考えて行くべきと提言する。
 再度MRTJに対しては、そのものの是非ではなく連携、出動をキャッチフレーズにMRTJを呼び掛けるのは欺瞞のようで活動への障害となり得るのでいま取り組むべきことではない。というのが、過去の出動、広島土砂災害、熊本地震からの現場からの教訓だと感じている。その結果が現われるのは先であるが、災害救助犬活動の分散、衰退する恐れは看過することはできない。また、社会からの信頼が損なわれることを最も危惧し、取り返しがつかないと思われることには声をあげていくべきと考えている。

■2016.8.12
 8/21の群馬県における連携訓練に呼び掛けている団体から不参加の連絡があった。参加できる犬がいないというものであるが災害救助犬に期待している行政からの信頼が揺らぐ恐れがある。連携には肯定的な立場を表明しているからこその呼びかけであるが、実際は裏腹で否定的な行動になるのは、目的、方向がどこにあるのか理解しがたく不可思議である。情緒、好き嫌いで集散する災害救助犬組織であることになりはしないか。
 また、8/21の訓練には15の団体に呼び掛けたが、返答があったのは5団体である。こうした連絡に対する対応にも疑問がある。連絡が取れない、やり取りができない、コミュニケーションが成り立たない関係で連携した取り組みができるとは考えにくい。
 救助犬業界だけの内向きな理屈で進んでいくならば、NPO活動からは切り離すべきではないか。社会からの疑問が指摘される前に自らを見つめ直す厳しい状況にあると私たちには映る。活動を見つめ直すべきだが、いつまでも時間的な猶予が与えられるとは思えない。

■2016.8.4
 有志4名が東京で話し合いを行った。組織連携、認定統一基準という災害救助犬団体の大きなテーマは、2015.2に大枠で合意できていた。その後、交流、合同訓練等を積み重ね順調に進んでいるように思えたが、MRT擬きのイベントに対し意見が分かれ、危惧していた通り組織連携、認定統一の意識はどこかに飛んで行った感になり、この現状には災害救助犬の未来に危機感をもっていたのは私たちだけではなかった。
 実際に熊本地震では連携とは程遠いお粗末な行動として現れ、災害救助犬としての行動規範はないことが露呈してしまった。救助犬ごっこ、ボランティアごっこ、自己満足のためならば、人命救助という目的とは区別してスポーツドッグとして行うべきである。
 こうした現状を踏まえ、自ら唱えた方々が認定統一基準作りへの努力は引き続き行うのか、再確認を行い、確認ができれば、必要な行動規範、項目を作り具体的なアクションプログラムを策定し、着実に実行して行くことにした。当初の合意通りであるが、それができない。まずは意識確認、危機共有しなければ始まらない。ただし、思いつき、興味本位のイベントは向かう方向への意識が拡散することになり、意識共有が整うまでは慎むように願う。
 線香花火的な傾向のある災害救助犬活動の意識を原点に立ち戻るように呼びかけるが、しかし、時間に余裕があるわけではない。社会、行政は許してくれないと感じている。

■2016.8.1
 当会の2016年度方針であるSRM(サーチ、レスキュー&メディカル)連携の具体的取り組みに向けて、スイスレスキューチェーンを参考にしたいが国レベルの実現への道は遠い。
 連携を機能させるためにはICS(インシデントコマンドシステム)の導入が有効であるが、導入には新しい組織?が誕生することになり、縦割り行政枠では抵抗があり壁となる。
 また合同訓練で連携ができているというのは錯覚で、その前の連絡体制、現場での合流、共通用語、指揮系統等々のシステムとしての事前課題の共有、解決なくして合同訓練の成果が現場で生かせるかは疑問である。
 具体的な取り組みには、個からチームへ活動する意識変革する必要がある。そしてチームは役割分担で連携する、その連携は実現可能で有機的なものでなくてはならない。
 あるエリアでは縦割りの体制を堅持しつつ横串を差すイメージで連携モデル作りすることを検討している。大局的な視点で目的への手段、方法の知恵を出し合い、謙虚に向き合うように提案していくが、災害救助犬とは、人命救助とは、NPO活動とは、について改めて考え確認してみたい。また、社会への責任をどのように受け止めているのか。
 目的の異なる集団の連携は無意味である。いま日本で機能するスタイルを具現化するために積極的な行政、警察、消防、DMAT、学界と共に2地域でモデル作りに力を注ぎたい。
※2地域については、各機関での準備調整段階のため具体的記述はできません。

■2016.7.10
 スイスITWの報告会が行われた。1週間の研修プログラムの詳細な内容よりも欧米における犬との関わり、文化の違いを強く感じ、今の私たちに必要なものは専門的なテクニカル面の習得よりも基礎にある、というのが報告者の主旨であった。
 また活動における考え方、取組みは学ぶべきものが多い。犬を連れての個々の行動は現場サイドでは実務的評価にはならず、災害救助犬認知の障害になることから自制すべきであろう。

■2015.5.21
 5/21-28 世界各国の救助犬に関わる人々が集まる「国際救助犬週間」がスイスで開催され、3名が参加する。世界の救助犬活動の事例を学び、情報交換、交流が進んでいくことを期待している。
 私たちだけが発展、進化することは望んではいない。私たちだけでは人命救助の期待に応えるには力不足であるから、この機会に得た情報、知識、技術は救助犬関係者に還元して、共に進化して行きたいと願っている。

■2016.5.15
 組織連携に関して、なぜ反対を唱える人がいないのに前に進みにくいのであろうか。
 組織間の事情が優先して実りある連携にはなりにくいのが現状ではないだろうか。そもそも目的が異なるのではないだろうか。テクニカルな面は訓練で補って行けるが、根底的に必要な目的、方針、具体的取り組み方を再確認したうえで個別の課題に取り組むようにしなければスローガンだけで形骸化すると感じる。少なくとも組織内では方向性を確認して取り組むべきが連携を実現させる道だと考える。個人の思いや考え方と組織の方が異なる場合はいずれを優先するのか。余りにも個人的な言動が強く取りまとめられないのが現状あることと、地元密着の少人数組織が多く、大局的な方向性は見つけ出しにくいのが実情であるように思える。
 それぞれの立ち位置が異なっていれば、この先ズレは大きくなるのではないか。
 NPOとして社会が寛容であるうちに修正を行うべきと考える。
 できなければ、目的達成のためには有志連合を模索することも視野に入れなければならないことになる。

■2016.5.13
 MRTに関するセミナー?が開催されたようだが、日本におけるIROび存在、その中のMRTの存在が今求められているものなのか。少なくとも実働をベースに位置付けられているとは考えにくい。
 私たちは、実働に対してやらなければならないことは何か。連携という言葉の持つ目的を考えれば組織の思惑、個人の感覚で動くことは避けるべきとの立場である。
 熊本地震での教訓は何もなかったのか。今後に備え共有するべきことはないのか。
 もっと厳しく自己を律して災害救助犬活動を見つめ直すべきと提案する。

■2016.4.20
 熊本地震の出動現場において、連携をしていく意思を確認できたのは新たに4団体あった。大きな災害を目の当たりにして必要性を実感したものだと思われる。連携スローガンだけでなく実務的に連携できる体制づくりを取り組んでいかなければならない。
 しかし、この出動において、同じ現場で行動を共にしていながら、総括にかなりの乖離がある。なぜ乖離が生まれるのか。目的が異なるということか。
 組織の事情を優先せずに、本来の目的に特化する災害救助犬になりたいものである。
 災害救助犬ごっこ、ボランティイアごっこからは脱皮しなければ未来はないと実感し、具体的な課題を議論できる機会で提案したい。
 災害時には意識せざるを得ないが平時は忘れがちである。どのようなことから行っていくのか、実務的な訓練で共有して課題にチャレンジすることを提案する。

■2016.3.26
 議 題:①救助犬に対する理念、②組織連携方針、取組み ③IROのMRT競技会について
 出席者:12名(RDTA,JRDA,DRDN)▼質問、■回答(提案者RDTA)
 場 所:東京渋谷区ビジョナリーアーツ(14:00~20:00)
 概 要:①②については参加者に議論はなく、連携が必要で目指していくことは一致した。取組みについては具体的議論はせず、③の提案議題に入った。
■多くの人が集うことで連携に向かうきっかけとなるイベントと考えている。これには多くの協力がなくてはできないので理解をいただきたい。
▼協力が必要という前提というのならば企画の段階で相談するのが順序というのものではないか。既に要項が決まっており参加の確認としか思えない。また、なぜIROのMRTなのか、なぜ競技会なのか。実情に照らして目的に合理性は見えない。興味だけで救助犬活動はできないし、広報、基盤づくりは別の形で行えばどうか。新しいイベントが生まれるだけで連携に寄与するとは考えにくい。連携というのは実働における連携と解釈している。交流とは区別するべきである。打ち上げ花火に終わり継続的な活動には結びつかないと考える。本来の資格条件を外し節度なく寄せ集め人集めで行えば災害救助犬の評価は落ち、今までの実績は水泡となるリスクを過小評価してはいないか。組織拡散し続ける日本の災害救助犬の歴史、教訓に学ぶべきである。連携に必要なことを優先づけして、必要ならば開催することも吝かではない。例えば連絡体制、やるべきことの確認さえできていない現状で、興味本位にイベント勧誘は場当たり的で方向性を見失うことになる。日本の災害救助犬活動をまとめることに寄与するとするならば、日本の現状に照らして今回のイベントを含めパッケージでビジョンを示してもらいたい。
■現企画に固執することなく、できるだけ多くの人の意見を取り入れてより良いものにしていく。
▼中身の是非ではない。個人の思惑ではなく日本の実情を冷静に分析して道筋を示してもらいたい。開催ありきで細かな修正でお茶を濁すことには連携が違う方向に向かう恐れがある。アレンジをして原型を変えていく柔軟な対応が可能ならば、今日の意見も含め開催見直しをIROに逆提案してもらえないか。
■ダメもとで提案します。
※結論は出なかったが、この議論を踏まえ新しい提案があるものと思われる。
 今回の集まりでは提案者と参加者の相違は鮮明で開催か否かであった。
 連携のテーブルで議論するのならば、イベントの是非以前の問題と捉えている。リセットしてテーブルに乗せることは無論排除はしない。
 本来の議論は提案があり、議論して集約するのが会議の目的であるはずが、結論ありきでは無意味であり、そのようなスタンスで物事を進めていくことは連携議論では避けなければならない。
 IRO加盟団体が故の制限があるならば、今後日本の統一基準作りの障害となる可能性がある。寛容でフラットな姿勢で議論したいと願う。というのが提案者以外の感想であった。
※テープ再生による要約

■2016.2.21
 連携、統一基準を各団体で考察する中
で、2/19,IROが主催する実動試験であるMRTというものが提案され、担当者間で話し合いが行われました。結論は出さず、一つの提案として提案者からレクチャーを受け、より多くの参加者で議論する機会を設けることにしました。
 3月26日(土)行うことで調整しています。
 ※IRO,MRTの説明は省きます。


■2016.2.18
 昨年5月のスイスレドッグセミナーを受け、昨年末にレドッグからインターナショナル救助犬ウィークへの招待がありました。
 5月22日~28日までスイスジュネーブにて各国の救助犬に関する報告やセミナーが予定されています。現在、JRDA1名、DRDN3名が連携して参加する予定です。
 帰国後には災害救助犬関係者に向けて報告できるようにする予定です。


■2016.2.6
 台湾南部の地震は皮肉にも連携を考える良い機会となったと考えています。始まったばかりの組織連携を最中に起こった災害対応での連携課題が試された気がします。連携という言葉にどのように向き合うのか、日本における災害救助犬活動をどのように結実させていくのか、基本的な姿勢について真剣に議論を深めていかなくてはならないと改めて感じます。


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